HOSHINO
SPIRITS 100
PROJECT

Project 13. 火砕流を乗り越えて

約30年前に始まった雲仙・普賢岳の噴火災害。島原市や現在の南島原市深江町では大きな被害がでました。

星野建設では土石流の土砂の撤去など、災害当初から復旧工事に携わっていました。

上田譲二さんは、1991年5月26日、土石流の土砂を重機を使って運び出す作業を行っているときに火砕流に巻き込まれ、大やけどを負いました。「火砕流」という言葉がまだ知られていないときの最初の負傷者となったのです。その後、火砕流が日を増すごとにどんどんふもとの街まで流れ下り、6月3日には43人の死者・行方不明者を出す大火砕流が発生しました。

上田さんは2ヶ月ほどの入院のあと、現場に復帰。当時の建設省(現国土交通省)の砂防工事などで島原の復興に尽力します。

当時の記録には、「上田譲二さんはいつもクールに仕事をこなしているが、今や建設省工事の常連現場代理人。温厚な上田さんも測量や図面などの提出書類を見つめる目はレンズで隠れているとはいえ、獲物を狙う、豹の目と化す」と記されています。

あまり自身の体験について多くを語らない上田さんですが、定年後の今も、「土木のスペシャリスト」として、これまでの経験を活かしながら、若手や後身の育成に力を貸してくれています。

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