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SPIRITS 100
PROJECT

Project 38. 雲仙・普賢岳噴火災害

1990年11月に突如噴煙をあげた雲仙・普賢岳はその後、5年あまりに渡り、長い噴火災害となりました。

火山灰は雨が降ると、土砂を巻き込んで川をかけ下り、星野建設でも昼夜を問わず、次の雨が降る前に堆積土砂の搬出工事を行うなどしていました。

その後、火砕流が流れ始めます。当時はあまり知られていなかった火山の現象に、社員は土石流対策で工事を行っている間に巻き込まれ、やけどを負う経験をした人や前も見えない状況で命の危険を覚悟した社員もいます。そして1991年6月3日には死者・行方不明者43人が出た大火砕流も発生しました。

本社は立ち入りが制限される警戒区域の範囲に入り、1年ほど入ることができなかった時期もありました。その間も、雨が降るたびに道路を塞ぐ土石流からの道路の復旧、そして砂防工事などさまざまな復興事業に携わってきました。

現社長・星野親房の当時の記録には「とにかく先陣をきって、すぐ灰や土石の排除。社員は『来い』といわれなくても来てくれて、女性社員もおにぎりを持ってきてくれました。自宅どころか自分の命も危ないのに。なぜやるか。故郷・島原だから、です。『島原のために』という使命感は強いですよ」と記しています。

噴火災害の経験は、東日本大震災やその後全国で発生した地震・豪雨災害でも活かされています。

そして当時の想いは、噴火災害を知らない若い世代の社員にも引き継がれています。

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